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よいときも、そうでないときも、おなじ心で

【インデックス投資】個人投資家と機関投資家の「強み」の違いは?

個人投資家は、専業ではなく、仕事をしながら投資する方が多いはず。

とはいえ、投資をするなら兼業だからといって手を抜くわけにはいかない。

そこで大切なのは、個人ならではの強みをしっかり活かすこと。

利益を急がずじっくり待てることは、個人ならではの強みとなる。

個人投資家はインデックスを持ち続けられるのが強み

兼業で投資をおこなう個人投資家が進むべき方向はどこなのか?

短期か長期か?システムトレードか裁量か?

投資に限ったことではないが、「強み」と「弱み」を理解して戦うフィールドを選ぶべきだ。

体格に恵まれないものがわざわざ相撲の道を選ぶことをせずともよい。

それと同じように(プログラミングが未経験であるのに)膨大な時間をつかってシステムトレーダーを目指す理由はない。

勝利する道はシステムトレーダー以外にもあるからである。

もっとも効率よく投資家として時間を使い、そこで最大の努力をしたほうがいい。

たしかに、弱みを克服して成果を上げている人もきっと多い。

しかしここでいいたいのは、投資の勉強に当てられる時間は有限ということ。

その決まった時間を配分する(つまり何を勉強するか)ベストな方法は、

投資家としての技能の積み上げが最大化する配分でなければならない。「実る努力」を重視したいところだ。

個人的なケースで恐縮だが、自分の場合

  • 日中ザラバを見ることは困難 → 中長期投資
  • 銘柄研究の時間不足 → インデックス運用
  • 若い → 大きな暴落を何度も待てる・世界経済の発展を待てる

という戦い方が「強み」を活かしているといえるはず。

「若い」は当てはまらない人も多いはずだが、個人投資家のメリットは待てることだから、若くなくとも戦略はあまり変わらない。

さて、そうすると、マクロなファンダメンタルズの観点から、ETF等で割安を拾っていくのがよさそうだろうか。

しかし、どの程度の暴落を拾っていくのか。

割安インデックス投資も「本質的な価値」を重視する

何十年に一度の暴落はもちろん拾うとして、年に数回規模の調整はどうするか?あまり小さな規模の下落を拾うと、とうぜん割高の可能性がある。

そこで重要となるのが「インデックスの本質的な価値」だ。

投資すべきインデックスの本質的価値が読めるなら、

その価値を下回る(つまり割安)調整や暴落だけ拾っていく。

逆にいえば、押しで拾った株価がさらに下がったとき、損切りしない。むしろ喜んでナンピンできるケースのみ拾っていく。

(値下がり時に損切りする発想は、どちらかというと投資家ではなくトレーダー的)

〔インデックスの割安〕をどのように判断するかという話は、またこれから。

個人投資家の弱みと強み(補足)

  • 個人は専業に対して(個人かつ専業もいるが)時間が取れない弱みがある。とくにザラバを見たほうが有利な手法では、あえて個人が勝負する必要はない。
  • デイ・スイングトレードは不利か? → 働いていると、ゆっくり戦略を考えるのは休日だから、個人投資家は長い時間軸(超長期投資)のほうが強い。
  • 個人投資家はすぐに結果を出さなくてもよい。自分の金なので、含み損に耐えられる。この強みを生かすなら、やはり中長期投資。
  • インデックス投資以外では、小型株などが有力か。機関投資家は資金が大きく小回りが効かない。出来高のない小型株に投資するのは個人のほうがやりやすい。

インデックス投資(ファンド)のシンプルな割安判断の方法とは?

インデックス投資とはいえ、タイミングを考えて買いたい」

という投資家も多いのではないだろうか?

ドルコスト平均法もベターだが、スマートではない。

ということで、インデックス投資における割安判断について考えたい。

インデックス投資の割安判断「PER」「バフェット指標」

「株が下落したときに売ってはいけない。むしろ買うべき」とはバフェット氏の言葉であるが、確かに、長年にわたって相場は上昇と下落を繰り返す。

エッジと呼べる数少ない事実かもしれない。

〔トレンドフォロー〕という手法はエッジがあるとされているが、それを見い出すのは困難。

上昇したインデックスはそうでない場合よりさらに上昇する確率が高いのか、想像できない。

しかし、下落したインデックスが永遠に下落を続けることはなく、それがいつの日か上昇するかもしれないことは、想像できる。少なくとも大きなサイクルにおいては。

下落したインデックスを拾う際、割安であるとどう判断するか。

他サイト引用1
先進国のPERは、不況時やバブル時を除くと概ね15倍~25倍で推移しており、15~20倍が標準的水準と言われています。ITバブルの際は30倍前後まで上昇しました。〔中略〕先進国のインデックスについては、PERが20倍を超えたら、割安性はない水準なので、その株価水準が正当化されるかを考えることにしています。
http://thegoalnext.blog.fc2.com/blog-entry-248.html

ひとつは〔PER〕であり、それはインデックスにも存在する。

他サイト引用2
バブル発生に気づく予兆はあるのでしょうか。相場の過熱を測る指標として、GDPに対する株式時価総額があります。〔中略〕ちなみに、最近のバブル発生時には、次のとおりでした。
・ITバブル発生時(2000年)・・・約120%
リーマンショック発生時(2008年)・・・約110%
こららを目安とすると、現在は90%ということで、今後10~20%の上昇余地はあるものの、徐々に天井に近づいているようです。〔中略〕この投資指標は、著名投資家バフェット氏が重視することから、「バフェット指標」とも呼ばれるそうです。
http://kibinago7777.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html

〔バフェット指標〕なるものもあるらしい。

(引用させていただきました。良記事感謝します。)

他にも有用な判断方法があるはずであり、それらを調べていきたい。

考えるための「道具」がある人はチート状態。頭の使い方を考える

「この人はどうしてこんなに頭がいいの?」「よくそんなアイデアが浮かぶなあ」「それに対して自分はまったくダメだ」と思ってしまう人も多いのでは。

僕もそんな一人で、先日凄いアイデアを目の当たりにして参ってしまった。しかも、それは深く考えれば思いつきそうなものだったのに、自分は全くそれを考えなかった。

そんな自分の頭のポンコツさ具合にやられてしまって情けなくなった。そこで少しでも頭がうなく使えるようになるにはどうすればよいのか、勢いで少し考えてみた。

「小さな発明」は誰にだってできる

「よいアイデアが浮かぶこと」は「上達すること」にリンクしている。だからこそ、よいアイデアが浮かぶ人間になれないことが悔しい。

主に「上達」とは、何かを「発見」すること、そして何かを「出来る」ようになることだ。逆上がりに成功したら、逆上がりをする方法を「発見」したのだ。

反対に、何かを「発見」することは、何かが「出来る」ようになることだ。最高に美味しいラーメンの作り方を「発見」したら、それを作ることが「出来る」ようになったということだ。

そう考えると、上達する人は発明家の素質があるんじゃないか。発明家とは大げさだが、「小さな発明家」といえるかもしれないと思った。

他人よりも実力で劣っている現状を補うには、新しい自分だけのアイデアが必要だ。そのためには、既存の枠にとらわれない「小さな発明家」にならなければならない。

小さな発明家になるためには「考具」が必要

そもそもなぜ、頭の柔らかい人がいるのか。よいアイデアが浮かぶ人がいるのか。才能の違いなのか?

そこで「考具」という本のことを思い出した。考えるっていうのは、なんとなく感覚で行なうのではなく、「考えるための道具」が必要っていう本(だった気がする)。

その本にはいくつかの「考具」が紹介されてたけど、それを駆使したからといって自分の分野に適応できるのは限定的だと感じた。

カラーバスやブレインストーミングといった考具だけではなく、それぞれの業務に特化した考具が必要だと考える。そのために、新たな「考具」をつくってしまうことが求められると感じた。

 まずは現存のツールを駆使する

新たな「考具」をつくる前に、既存のツールを駆使するべきだ。

イデアというのは、まったく新しい概念を生み出すものだとは限らない。むしろ、小さな発明は「少し生産性が上がる」程度。しかし、それはとても大きな進歩だ。

大切なのは、新しいシステムとどんどん試し、よいシステムは採用すること。「今はこれで回っているから大丈夫」などと悠長な構えだと、淘汰の対象になりかねない。

マッチ棒で火を付けられるにもかかわらず、キリモミの摩擦で火をおこし続ける原始人のようにならないためには、新しいことを試して行かなければならない。

新しい道具を使っていくことは、小さな発明とはいえない?そんなことはない。現存のツールを「本来の使い方ではない」風に利用し、それで業務に利用できるならば小さな発明だ。これらは、ITであれば新しいシステムやソフトなどが該当する。

(その前の段階として、現存のツールを「本来の使い方で」利用するというフェーズがある)

「自分だけの新しい道具(ツール)」が必要になってくる

①現存の道具(ツール)を本来の用途で活用

②現存の道具(ツール)を本来しない用途で活用

1を正しくすることは、生産性を上げるために欠かせない。けど、これを徹底していない人や企業は多い。上述の通り、マッチ棒ではなくキリモミで火をおこす原始人状態だ。

その次に2のフェーズがある。思いつく具体例は個人的過ぎるので紹介は控えるが、これが出来ると一人勝ち状態に近くなる。それを知っているのが自分だけなのだから、自分だけ道具(ツール)を持っている状態だ。

そして、この次に来るものはなにか?

③道具(ツール)を開発して活用

たとえば、ブログを書くときにキーボードを打たなくても頭に思い描いただけで文字になる道具を開発したら、自分だけ記事を量産できる。

これは大げさな例だけど、暗記したいときに自分だけの語呂合わせを開発するといったことも3に入り、これを凄く小さな規模で行っていくことが差をつける鍵だと思う。

感覚に頼らず理詰めで考える

①現存の道具(ツール)を本来の用途で活用

②現存の道具(ツール)を本来しない用途で活用

③道具(ツール)を開発して活用

これらが進んでいく原動力は、「問題がある」という認識だ。改善しないといけない状況に迫られたとき、人間は頑張って効率化しようと考える。

しかし、不便を感じていないときはどうだろうか。さらに効率化できる道具(ツール)があるにもかかわらず、それを見逃してしまいやすい。

安いものに満足していたにもかかわらず、高いものを使うと「こんなに違うのか」と感動することがある。しかし、安いもので不便を感じていないかったからこそ、新しい可能性に気が付かなかった。

これを教訓とするために、「自分の感覚は信頼しない」ようにしたい。不便だと感じていない業務ですら、改善の余地だらけだと認識することから新しい可能性が始まる。

まず本気になること

自分の感覚は信頼しない、に似ているが、さしあたって「真剣になる」ことが求められる。「考える」ことをやめないという本気さが次に繋がる。

日本にはさまざまな塾があるが、東大首席卒業者の勉強メゾットは同じだろうか。多分、バラバラだろうと予想する。

勉強メゾットにも、出来のよさと悪さはあるはずであり、よいメゾットがあれば悪いメゾットもある。けど、それは情熱(本気さ)の前には小さなアドバンテージに過ぎない。

よいアイデアや効率化、生産性の向上を目指すなら、それを実現したいと本気で感じ続けることがスタートラインだと思う。頭の悪さを言い訳にしない。

「ムリ」とか「イケる」などの感覚は全くあてにならない

直感的に「これはイケる」と思うことがある。上手くいっている、もしくは上手くいくに違いないと感じる。

しかし、蓋を開けてみるとそうではないことも多い。「これはムリそうだ」「これはイケそうだ」と直感的に感じたときは、要注意だ。

「これはムリそうだ」と感じたときは、なぜそのように直感したか分析してみたい。そして、本当にムリなのか、どうすれば成立するのかを考えてみたい。

「これはイケそうだ」と感じたときは、それは油断ではないのか考えたい。なぜその根拠があるのか。それって本当に凄いのかを慎重に考えたい。ヒューマンエラーの可能性もある。 

どのように新しいイノベーションを生み出すか

「小さな発明」を実現するにはどうすればよいのか。その生産プロセスこそ、考える道具(ツール)が必要とされる。

仮説を立てて検証する

これは本当に面倒だ。今上手くいっているフィーリングを放り投げ、なぜ新しい仮説を立てて検証しなければならないのか。

しかし上述の通り、上手くいっているのは勘違いで、感覚を当てにしてはならない。そんなの上手くいくはずがないよと感じる仮説についても、しっかり検討する。

寝起きがスッキリしないのなら、寝る前にあらかじめカーテンを開けてみる、寝起きにシャワーを浴びてみる、コップ一杯の水を飲んでみるなど。ダメ元でトライし続ける。そんな感じで、業務を改善してみる。

要素を分割して考えてみる

解決する方法がわからないのなら、分割してみるとわかりやすくなる。ブログでは、いきなり書き始めるよりアウトラインを作成するとスムーズに書ける。

これは分割していることに他ならない。ここに何を書けばよいのか、と目安があるからスムーズに書ける。

分割すると目安ができる。これを実現するためには、どんな要素が満たされなければならないのか。一つひとつ考えていく。

新しい商品を成立させるためには、どのような要素が求められるか。目新しさ、持っていて恥ずかしくないデザイン性、〇〇円以下の販売価格、という風に、これらを1つずつ分割して考えることで何も形を持たなかったアイデアに形が生まれる。

要素をくっつけて考えてみる

既存のAとBをくっつけることで未知なものができる。「音楽」+「モバイル」=「ウォークマン」みたいに(少し例えが古すぎるかもしれない)。

これはかなりメジャーな発想法なのでこのへんで。

逆転の発想で考えてみる

逆転の発想も新たなアイデアに有効だ。「逆にいえば…」と問いかければよい。「パソコンって打つの疲れるなあ、逆にいえば…」。

「海にいると落ち着くなあ、逆にいえば…」とか、なんか思いつきそうな気がする。自分の業務に役に立つものが得られる可能性がある。

自分の行動に理由を探す

マーケティング分野の人や、他人を知らなければならない人に有効なのは、自分がしたことに理由をつけることだ。

なんで自分はこれをしたのか

いつも訪れてしまうサイトがある。なんでなのかな?→サイトのマーケティングに役に立つ。

いつも買ってしまうジュースがある。なんでなのかな?

この人といると安心する。なんでなのかな?

自分はこれをしている時楽しい。なんでなのかな?

この文章はかなり読みやすい。なんでなのかな?

このように考えることで、それを仮説立てて検証する。このような分野は特に感覚に頼っている事が多いので、自分を実験対象としてみるとかなり面白いかもしれない。

パクる勢いで分析してみる

完全にパクるのはいけないが、学ばせてもらうことはするべきだ。それを自分のオリジナリティと融合させることで、新たな感覚に仕上げることができる。

「こんなやり方があったのか」と感動して悔しくなったことを冒頭に紹介したが、これはパクらせてもらった。その後、かなり生産性が上がったが、出来上がったものはまったく異なっていた。

つまり、プロセスをパクったところでまったくコピーにならない。出来上がったものをパクるのは絶対にいけないが、プロセスをパクることは人間が進歩していく上でかなり必要なことだ。

例えば作家が面白い作品を発表していたら、それをパクるのはダメだが、その作家が面白い作品の要素として「裏切り」を重視しているのであれば、自分の作品にも裏切りを取り入れる。

こんな風にパクっても、実際にどのような裏切りとなるのか個別的シチュエーションはまったく似ない。それは書いている人間が異なるからだ。

自分にない視点を手に入れて、それを自分の個性で料理するとうまくいきやすい。

うまくいっているという「事実」に学ぶ

理由はわからないがうまくいっていることがあれば迷わず取り入れる。ある人が上手くいっているやり方があって、その理由はわからないとする。

ただし上手くいっていることが確実なのであれば、それを取り入れれば自分もうまくいく可能性は高い。

どんなに賢い人でも完璧ではなく錯覚だらけなので、その理由がわからないということは往々にしてある。しかし、もっと高い次元ではしっかり理由づけされている可能性が高く、もし全知全能の神がいれば根拠を説明できる。

このようなよくわからない事象を味方につけることができれば、前進する可能性は高い。

上述の通り、自分の感覚というものを過信するのはよくない。それよりも上手くいっている事実のほうを重視するべきだ。

表に出ている部分しか考えないのはダメ

新しいアイデアを思いつくためには、表に出ている部分だけを検証するのでは材料不足だ。表に出ている部分しか考えないのは、一種のワナにかかってしまっている状態だ。

文章の内容と、文章の「裏」の内容

あるブログがあったとして、そのブログには有益な情報が多くあるとする。このようなとき、そのブログの表の文面だけを理解するのではアイデアは限定的だ。

文章には「表の意味」と「裏の意味」があり、裏の意味についてはこちらが独自に考えることだ。裏を読めるということが新しい扉を開く上で大切なこと。

たとえば小説であれば、

①ストーリーそのものの機械的な進行(表の意味)

②作者のメッセージ性(作者が知っている裏の意味)

③文の節々から読み取れる作家の脳内(真の裏の意味)

があり、③は作者も気がついていない。もし③が読み取れるのなら、作者の技術を盗めるかもしれない。

同じように、もし仕事ができる人がいたら、その人の業務を真似するのはもちろん、本人すら気がついていないプロセスに着目する。それを仮説立てて検証したい。

結果だけ見るのではなく、なぜそのような選択をしたのか、というプロセスのほうが重要だ。結果だけを見てパクっても応用範囲が狭いが、プロセスを学んだら他にも応用できる可能性が極めて高い。

また、他人からアドバイスをもらったときは、アドバイスのみを鵜呑みにするのではなく、「なぜこの人はこのように考えているのか」といったことも考えたい。そうすれば、アドバイスだけでなくさまざまな思考が学べる可能性がある。

階層になっていても諦めずに問い続ける

(唐突だけど)たとえばあなたが幸せになりたいとする。「でも幸せって何?」「自分にとっては夢中になれることかな」「夢中になれる行為って何?」「夢中の定義は?」のように、永遠に終わらない。

この記事を書こうと思ったときも、「アイデアってどうしたら上手く考えつくの?」→「感覚じゃなくて、道具を持つことが大切かも。考えるための道具も必要なはず」→「でも考えるための道具って?」→「わからないけど、『考えるための道具』を考えるための道具が必要なんじゃ」。

もしくは、「分割して考えるのも『考えるための道具』の1つかも」→「分割するためにはどうすればよいの?」→「わからない」。みたいに、階層になっているため終わりがない。

けど、これを粘り強くやっていけば、頭はよくならないかもしれないけど、自分の頭のポテンシャルを使い切れるようになる。

記事をまとめると、考えるための道具やツールを利用・開発することで優位に立てるかも。ということになります。

藤井聡太四段の28連勝で「将棋本がバカ売れ」しているらしい!

藤井聡太四段の活躍で将棋本がバカ売れ」しているらしい。子供向け将棋本を中心に、売上が伸びているようだ。

藤井聡太四段の実力的すごさ

藤井聡太四段の影響力は、将棋界はもちろん将棋界の外側まで及ぶ。プロ将棋界の歴史上、28連勝はタイ記録である。

28連勝の記録を持つ棋士は、藤井聡太四段のほか1人存在する。しかしその記録は、「なんでもあり」の連勝記録だ。つまり、デビューと同時に達成する必要はない。

加藤一二三九段(77)の引退が話題になったが、その長い棋士人生ですら達成されていない28連勝。藤井聡太四段が中学生で樹立した記録は、本来、長いスパンで棋士人生をかけて目指すレベルなのだ。

それを史上最年少プロ入りのおまけ付き、デビュー直後で成し遂げた。本当の奇跡だ。

藤井聡太四段の28連勝は(というか10連勝目くらいから)、大変な騒ぎとなった。プロ将棋界ではなおさらだろう。

「何だあいつは?」「とんでもないのが現れた」とザワザワしたに違いない。目の前の光景を疑い、「まじか…まじか…」と静かに独り言を繰り返したに間違いない。

将棋好きしか関心のない世界、それが将棋界だ。ところが藤井聡太四段の登場で、ルールすらしらない視聴者もTVに釘付けになった。

業界の外にこれほどの影響を与えられる将棋プロ棋士は、羽生善治棋聖と、藤井聡太四段くらいだろう。

藤井聡太四段の人間的すごさ

藤井四段人気:将棋本の売り上げ急増 子ども向け玩具も - 毎日新聞

藤井聡太四段の活躍により、将棋本がバカ売れしているとのこと。将棋界は決して広い世界とはいえないから、余計に影響力は大きい。

ベテランをバッサバッサ切り捨てるルーキーの登場に、プロを目指す小学生や中学生はたまらない。大いに湧いているだろう。プロを目指す若い棋士にとって藤井聡太四段はヒーローだ。

こんな小学生や中学生の心境は多分こうだ。プロ棋士ならだれでもよい。とにかく会ってみたい。握手してほしい。憧れている。大好き。

こんな状況で、藤井聡太四段が現れればもうたまらないはずだ。

藤井聡太四段の将棋本バカ売れマーケティング効果には、冷静でクールな人柄も効いていると思う。インタビューされ、「僥倖としかいいようがない」「実力からすると、望外の結果」とは、ただのカッコイイでしかない。

本当に中学生なの?将棋でそんな言葉使わないよね?

藤井聡太四段の上記発言は「語彙力が豊富すぎる」と話題になった。しかし個人的には、「幸運だった」「(ここまで連勝できるとは)対局前は思ってみなかった」のほうが好み。

将棋の勝敗は運ではなく実力で決まる。ジャンケンではないのだ。アマチュアがプロに勝てる確率はほとんどない。藤井聡太四段は実力で勝っている。本人もそんなことは理解している。

それでも「幸運だった」と、あくまで勝利は運にすぎないとする姿勢に「モノがわかっているな」と関心してしまった。むしろ、そんな風にいえばよいのかと勉強になった。

いや、「勝てる実力が付いたことも、また運の1つ」みたいな、めっちゃ深い意味なのかもしれない。そんな藤井聡太四段を見て、親が子供に将棋本を買い与えるのも納得した。

スランプの脱出には「他人」を意識。継続するモチベーションを引き出すには

人間にとって最高の武器は「モチベーション」だ。モチベーションがあるからといって、必ずしも成功するとは限らないが、モチベーションが強力なことには変わりない。

モチベーションがみなぎっている人、モチベーションが長期にわたり継続する人がいるならば、それは最高の武器だ。その武器を振るうだけで、ほとんどの人をなぎ倒せるに違いない。

モチベーションは仕組みに過ぎない

モチベーションを高めるにはどうすればいいか。前提としてモチベーションは、人間に備わった仕組みの1つ、というのが僕の考えだ。

空腹になると、ご飯を食べるモチベーションが湧く。寝不足だと、横になりたいというモチベーションが湧く。だから、モチベーションとは仕組みだ。

当たり前のようだが、モチベーションを「人間の仕組みと切り離して」考える人も多い。モチベーションは、何もないところから生まれるべきものだ、といった考えの人もいる。

たしかに、なんとなくやる気に満ち溢れる瞬間はある。なぜだかわからないが、やってやりたい。自分ならなんでもできるはずだ、という気持ちになる。

しかし、そのような偶然だけにモチベーションが左右されているわけではない。モチベーションが偶然の産物だと考えている人は、やる気のある状態を維持することは難しいだろう。

僕自身、モチベーションが上がらずに苦しんでばかりだけれども、一定の効果がある方法を紹介したい。

大切な人のために頑張り抜く

モチベーションには、「瞬発力」のあるモチベーションと、「持久力」のあるモチベーションの2つがある。瞬発力のモチベーションは、偶然や突発的な出来事に鼓舞されるような感じ。

持久力のモチベーションは、「うおー!やってやるー!」とはならないが、自然と行動につながり、それが数年以上継続するような感じだ。

持久力のモチベーションを引き出すコツは、長年悩んでいることや、長年大好きなことを、すべき行動にコミットさせる仕組みを構築することだ。

長年「うまい棒」が好きで好きでたまらないなら、行動を起こすことに成功した場合のみ、うまい棒を食べるルールをつくる。

しかし、もっとよい方法もある。それは「他人」のために頑張ることだ。人間は社会的動物として発展してきたし、持久力のモチベーションを引き出す仕組みに他人を組み込むことは理にかなっている。

僕は家族が大好きなので、家族のために頑張るというスタンスだ。そうすると、自分の辛いことはどうでもよくなる。自分から意識がそれる。

家族でなくても、恋人、先生、コーチ、友達など、他人を意識するとうまくいく場合が多い。「この人」のために少しでも成長した人間になりたい、と頑張るのだ。

スランプのときこそ「他人」を意識する

他人のために頑張ることに嫌悪感を抱く方も多い。そんな場合、調子のよいときは自分のために頑張るスタンスで問題ない。しかし、スランプに陥り、抜け出せなくなったときは、他人のために頑張ることをしてほしい。

デール・カーネギーの『道は開ける』という世界的ベストセラー本に、2週間でうつ病を治す方法が解説されている。詳細の記憶はあいまいだが、他人の喜ばすことだけを考えて生活してみる、といった方法が記述されている。

そうすると、嫌なことも他人のためだからということで苦しみを感じにくいし、自意識過剰にならずに済むということだろう。

子供が生まれると、面倒を見るのに必死で悩む暇がないといわれるが、多分それに近い。人間は、自意識過剰になった瞬間から、少しずつスランプになっていくのだ。

自分のことだけ考えていると、「努力によるリターン」と「努力による苦しみ」が釣り合わなくなる。「こんなに苦しいのなら、○○できなくてもいいや」となる。

しかし、他人のためならば、自分の苦しみを評価する余地が入らない。自分のためなら到底できない努力を、他人を喜ばせるためならばできるようになるのだ。

自分の目指している夢が、他人が入り込む余地がないほど崇高だという人は、宇宙にたった一人だとしてもそれをやりたいかを考えてみてはどうだろうか。

時間管理が難しいフリーランス。モチベーションを上げていくには?

モチベーションが上がらないと仕事が進まない。仕事が進まないとクライアントに迷惑がかかる。また、お金にもならない。

このような悩みを抱えている方はきっと多い。いったい、どのような対策をしていけばよいのか。僕もこの問題に今も悩み続けている。

ダラダラする時間をなくしていく

フリーランスにとって上手な時間の使い方は必須科目だ。会社員ならば、会社にいる時間は必然的に拘束されているわけで、効率に差はあれど、仕事が全く進まないということはない。

しかし、フリーランスにとって、仕事とプライベートの境目はあいまいだ。必然的に、仕事より楽しいことがプライベートにあれば、そちらが優先になってしまいやすい。

この問題を解決するためには、「仕事をする」というよりも、「仕事以外のことをしない」時間を確保することが大切なのではないかと思う。

仕事をしない罪悪感に敏感になる

仕事をしなかった日、「まあ楽しかったしいいか」と思える人はいるだろうか。そう思う人もいれば、そうは思えず罪悪感に襲われる人もいるだろう。

個人的には、このような罪悪感を大切にしたい。僕は最近、仕事があまり進まない。だからこそ、この状態を改善したいのだが、そのもっとも大きな動機はあの罪悪感を味わいたくないからだ。

今を生きる、という言葉があるが、今だけを考えていてはいけない。1日が終った際、どんな気持ちでいたいのか、これをすると(しないと)どんな気持ちになるのか、といった想像力がなければならない。

これからも頑張っていくぞ!

仕事がうまくいっているときは、うまくいっていないときの気持ちがわからなくなる。「なんで上手くいかなかったのだろう、こんなに簡単なことが」みたいに。

はやくあの感じに戻りたい。本当は、自分だって、やればもっと出来るはずなのであり、習慣化の詰めが甘いだけのことなのだ(と信じている)。

とにかく、100%の努力を惜しまないことだけだ。時間のほとんどを仕事に費やす勇気を出していけば、かならず前進するはずだ。

モチベーションを上げていく方法、フリーランスの最適な時間管理の方法は、はっきりいってわからない。でも、何もしないで悩み続けるのではなく、行動しながら悩み続けるようにしたい。

藤井聡太四段28連勝はもはや恐怖。その強さは「才能」か「努力」か

藤井聡太四段がなんと28連勝。ただの28連勝でも奇跡に近い偉業であるのに、それをデビューと同時に成し遂げ、さらに14歳という若さで達成した。

なぜこのようなことが可能なのかを考えた。

14歳という若さに恐怖を覚える

藤井聡太四段は14歳。つまり、人生経験はたった14年間しかない。1年間で人間が学習できる限界を考えると、もはやこれは不可能なことに思える。

つまり、圧倒的に時間が足りないのではないか、ということだ。ベテランなんて、いったい何年間将棋を研究しているのか?

若年層が活躍することは、スポーツ界でもよくある。スポーツの世界では、体が完成していない中学生くらいで成績を出すことがある。

一方、30歳くらいでベテランの域に入りつつあるにもかかわらず、鳴かず飛ばずの状況に苦しみ続ける人もいる。中学生でありながらバッサバッサと大人をなぎ倒す少年が現れると、もはや対称的だ。

藤井聡太四段の活躍は本当に凄いことだし、ファンの一人として応援している。が、それと同時に、同じく競争社会を歩む一人として、あまりに凄すぎて恐怖に似た感情を抱く。いったい、どんな努力をしたのかと。

藤井聡太四段を見ていると、なにが自分と違うのかと、真剣に考えてしまう。1つの道をそんなに早く攻略する方法があるなら、教えて欲しいと感じるのは僕だけではないはずだ。

「天才」で片付けたくない

藤井聡太四段の強さは天才的だ。けれども、「天才」で片付けたくないし、片付けるのは間違っているのではないかと思う。

1つの事実として、若くから学習を始めたほう有利といわれる。しかし、これも同じように、「若くから始めたから強い」で片付けてはいけないと思う(藤井聡太四段がいくつから将棋を始めたかは知らない)。

これは感情的にそうであるだけでなく、実際にそうなのではないか。結論として僕が考えたのは、超一流と呼ばれる人々も、やっぱり人間だということだ。

勝負の世界では、その勝者を「完全無欠」「全知全能」と賞賛しがちだ。けれども、いくら専門分野とはいえ、完全無欠なんてありえない。

実際にはスキだらけで、人間の本来の生まれ持ったポテンシャルと比較すれば全然完璧ではないのではないか?よくよく観察すると、そんなふうに思う。

100M走の世界記録はもう破れないとされたこともある。その走りが、完全無欠だと考えられているからだ。けど、実際はそんなことはなかった。

そんなことで、僕はやっぱり、藤井聡太四段は他の棋士と同じくらいに、もしくはそれ以上に将棋に対して労力(時間×質)を費やしてきたからこそ成績が出ていると考える。

それができるのは、他の棋士たちもあくまで人間で、将棋(の努力)においても完全無欠とはいえないからではないか?

規格外の努力で結果は出せる

僕は、第一線で活躍している人を「大したことはない」というつもりはない。けど、神様なんかじゃなく、あくまで人間なんだといいたいだけだ。

これは将棋界だけの話ではない。人間が行うことすべて、そうなんじゃないかと思う。

人間である以上、「ここまでが妥当かな」という努力の一線を引いている。その一線は、本来の限界よりもやや手前だ。

そんな中、藤井聡太四段は、努力の限界の一線を他の棋士より遠くに引いたのではないか。

たとえば、「高い質を保った学習時間」をどの程度確保したかは影響が大きいと感じる。「5時間」という同じ時間は平等ではなく、質を保てるかどうかの差が大きい。

もし質を保ちつつ、余剰時間をすべてある1つの分野につぎ込むことができれば、比較的に簡単に一流に近いところまでいけるのではないかと感じた。もちろん、それ自体がとても難しいことだが。

そのように考えたとき、藤井聡太四段に一層の畏敬の念を抱くとともに、自分もさらに努力しなければいけないと感じる。

藤井聡太くんはすごいねえ」なんて、少し上から目線になる前に、その背中を、その態度を必死に追わなければならないと思った。

僕は、「努力」に比べて「才能」が不要だとは思わない。どちらも備わっていることでしか成し遂げられないことはある。

けれども、みんなが思っているよりは、他人の才能にビビらなくてもいいんじゃないか。個人的には、そんな風に考えてみたいところだ。