itamame24のブログ

よいときも、そうでないときも、おなじ心で

頑張りたくても頑張れない。理解していても行動に移せない

数年前まで、とくに強い信念が1つあった。行動するためには思考(理由)が必要だということだ。努力できる人間、頑張れる人間は、思考がしっかりしていることにより動機づけされていると信じていた。

しかし最近、それとは裏腹のことが起きている。どのように考えても自分の人生に必要なのことなのに、それに対してやる気が出ない。理由はばっちりなのに。

反面、どのように考えても自分の人生に無駄なことに対して、惰性で時間を割いてしまう。もちろんまあ、人間とはそういうものだ。

それと同時に、自分の人生に必要なものに対してやる気が出ないといった事象について、ある法則を発見した。「やっているうちにやる気が出る」ことだ。

これについては、以前から薄々と勘付いてはいたのだが、想像以上にかなり強いやる気の出方であったので、自分の人間性のいい加減さに辟易した。

行動していないときの自分と、行動しているときの自分とは、まるで違っていた。行動していないときの自分は、テレビやスマホを触り、時間を無駄にし、その後に罪悪感にうんざりした。

行動しているときは、「次はこれとこれをやって、こうしよう」という道筋がはっきり見える。このことに気が付かなかったのは、本当に行動したくないときに、実際に行動したことがなかったからだ。

僕にとって、やりたくないこと(たとえば気分が乗らないときの仕事)をやることは、清水の舞台から飛び降りるようなものだ。本当に、そのくらい腰が重い。

このことからわかるのは、

  • 思考→行動

よりも

  • 行動→思考

の回路のほうがはるかに強力なのではないか、ということだ。努力できない人の特徴は、惰性的にサボってしまうことだと思うが、努力できる人とてそれは同じではないか。

たとえば勉強がしたいのにできない人は、勉強をしないことを惰性的にしてしまう。一方、勉強をしっかりする人は、勉強をすることを惰性的にして「しまう」。

なんだか当たり前のことをいっているようで恥ずかしくなってきたが、僕が伝えたいのは、思っているよりこの事象が強力に作用するということだ。

  • 行動しているときの自分
  • 行動していないときの自分

とは、まったく違った人間になっていることは間違いない。多分、脳内物質かなにかが分泌されているに違いない。

ベッドに横たわっているときより、ソファに腰掛けているときのほうが努力家になっている。人間の脳は、哲学とかなんとか思考とか、正しい行動かどうかとか、そんなことは小さいことなのかも。意外と動物的。

人間の脳のクセとして、「一貫性を求める」と聞いたことがある。まさに、自分の肌感覚と一致しているような気がする。

努力できるようになりたいと悩んでいる人、もしくは変わりたいと考えている人は、大抵そのようになれない。それはなぜか。多分、「変わるための思考」を求めているからだ。

「なぜこれを頑張らないといけないのか」「これを頑張ることにどのような意味があるのか」「行動できる自分になれる哲学的な思考はなにか」など。自己啓発本がその最たるもの。

それよりも、まず行動。とにかく行動。自分の場合はこれが効いた。だからこそ、気分転換などといい、仕事を中断すると、そこからの再開が本当に苦痛だ。

それは今でも変わりないが、そんなとき、自分を励ますようにしている。人生は有限で、無駄なことをしている暇は一切ない!でもやっぱり、それでは重い腰は上がらない。思考とは、それほどのものだ。